本校では、校訓「朝(あした)に礼拝(らいはい)、夕(ゆうべ)に感謝」の通り、朝夕に朝礼・終礼を行います。
姿勢を正し、「瞑想」「讃仏歌斉唱」「合掌・礼拝」を行うことを通して、今日一日をどのように過ごせばいいのか、今日一日を振り返って何をすべきだったのか、自分の内面を見つめて感謝の心を養います。
また、講堂朝礼として、学年ごとに一堂に会して、さまざまな先生方の講話に耳を傾けて心の糧とする機会を設けて来ました。
しかしながら新型コロナ感染症拡大防止のため、教室での朝終礼は声に出さず心の中での讃仏歌斉唱、多くの人が集まる講堂での朝礼も中断とせざるを得ませんでした。
もちろん朝終礼の形や場所が変わっても、これまで大切にしてきた”報恩感謝”の念は変わることなく継いでいかれるものです。
しかし、講堂という場で作り出される雰囲気を感じてほしいという思いも常にありました。
講堂は、正面に仏壇があり、ご本尊が安置されています。
阿弥陀仏に見守られ、来たもの全てが心を落ち着かせ、ほどよい緊張感の中、心地よく過ごし、自らを見つめ直すことができる。本校だからこそ味わえるそういった素敵な空間で過ごす機会が再びできないか、常に考えてまいりました。
その中で、緊急事態宣言などの解除やその後の感染状況を鑑みて、今回密を避けるため学年を分割した形で再開することとしました。
教室で過ごす朝礼より一層厳粛な雰囲気に、1年生には戸惑いもあったようでした。
しかし、初めての経験にも関わらず生徒たちはたくさんの気づきを得たようです。
これからも様々な経験をしていく中で、さまざまなことを学び、感じ、考えることができる、より心豊かな生徒となっていくことを願っています。
はじめて講堂での朝礼を過ごした1年生の宗教委員が感想文を寄せてくれましたので、ご紹介します。
◎1年宗教委員 藤原 聖良
はじめての講堂朝礼は、とても緊張しました。
教室での朝礼よりも一層厳粛で、大切な儀式なんだなと思ったのが第一印象です。
1年生が半分すぎて、毎日の朝礼にも慣れてきたこの時期に、たくさんの先生に見守られながら講堂朝礼を過ごすことで、自分を見つめ直し、少しいいかげんになってきているところもあることに自ら気づくことができる機会になりました。
また、講堂朝礼には、様々な作法があることを教わりました。それらの作法には意味があり、意味があるからこそ守り続けられているのだろうと、今回の講堂朝礼を通して気づくことができました。
◎1年宗教委員 齋藤 志津
講堂朝礼に行くため廊下を出たときに、担任の先生に「私語厳禁」と言われました。そのときは「なぜだろう」と疑問に感じましたが、その理由について先生はこのように説明してくださいました。
北海道にトラピスト修道院という修道院があります。そこでも「廊下では喋ってはいけない」という規則があります。
本校とトラピスト修道院、宗教の違うなかで、なぜ同じ規則があるのでしょうか。
それは、私たちにとって「自己をしっかり見つめなおす」ことがとても大切であるためです。
この話を聞いて私は、「確かに喋っていたら相手のことばかり考えて自分のことは考えられない」と感じました。
さまざまな願いがこめられていて、それぞれの作法にも深い意味があることに気づくことができた、私にとって学びの多い講堂朝礼でした。